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Best Ed Northland Ltd
ニュージーランドのノースランドを中心に活動している留学サポートセンターのブログです。
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プロフィール

たら

Author:たら
ニュージーランドに住んで15年。福島県
双葉郡富岡町出身。県立双葉高等学校
から獨協大学外国語学部英語学科を卒
業。二児の母。ノースランドで五年間の
教員経験を経て、日本からの留学やワ
ーホリ、その他の旅行者をサポートする
会社『Best Ed Northland』を設立。
通訳、日英翻訳、経理などいろいろなこ
とをしております。



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私の留学:これでダメなら諦め!
イギリス市内


「なぁ、大学院も留学もっていうのはダメだ。妹もいるしな。どっちかにしろ」と母に言われ、私は迷うことなく1年の留学を選んだ。もう一度、イギリスへ。。。

イギリスを選んだのは、アメリカと違ってバスや電車などの公共の交通手段があって、自由に行動できそうだったからだ。そして、学生の街、ケンブリッジに行く事にした。イギリスに着いた途端、1年が限りなく長い時間のような気がしてとても不安になったのを覚えている。でも、自分でケンブリッジ行きのバスを見つけ、並んでいたら前の人に「コレ、片道分しかいらないからあげる」と切符をもらい、何となく大丈夫そうな気になった。(単純だ。。。)

語学学校ではレベル分けでUpper Intermediateに入れられ、授業が始まった。でも、相変わらず聞き取れずに困っていると日本人留学生の間で頼めば下のクラスに入れてもらえると聞き、相談に行くと「下のクラスはこれ以上増やせないほど日本人がいる。キミはテストの結果は上級クラスなんだから、慣れれば大丈夫。がまんしなさい」と言われ、そのままいることになった。確かに、レベルが下がるほどアジア人が増え、上がるほどドイツ語圏からの学生が増えるようだった。だから、1学期目は慣れるだけで精一杯だったが、2学期には上級クラスに!

しかし、上級クラスより上はないので同じレベルを2学期と3学期に繰り返した。何度か同じないようの授業があったりした。4学期目は飽きて、あまり授業にも出ず、TOEFLやFCEなどの英語の試験を受けたりブラブラして帰国した。

授業以外でもクラスメートと過ごすことが多かった。授業中、ペアを組む事が多かったスイス人の男の子とはいいテニス仲間で、週末はほとんど彼とその友達とテニスをした。また、他のクラスメートとも映画を見に行ったりパブに行ったり、中古の自転車を手に入れて街中を走り回った。特に日本語を話さないようにしていたわけではないが、日本人が私を含めて二人しかいないクラスで、彼女には別に友達がいたのでほとんどの時間を英語で過ごさなければならなかった。

ヨーロッパのよさは簡単に安く他の国に旅行できてしまうことで、休みの度に日本に帰るお金がなかったので周辺の国を旅した。みなが家族で過ごすクリスマスにフランスに行き、お互いにヒマだったからとホテルのおじさんと1日中話していたこともある。少しずつ会話ができるようになっていた。

でも、自分の進歩は自分には見えないものだ。その語学学校は各学期に新入生を受け入れるシステムだったので同時にその時点で帰る人も多い。クラスメートだった日本人が帰った時、気弱になり、自分も帰りたくなった。そんな中でがんばるのは容易なことではなかったが、最終的にはFCEにもメリット付きで合格し、TOEFLもその学校でトップの成績だった。なせばなるものである。

帰国後、別件で町の教育委員会に行ったらその件は断られたが、ちょうどニュージーランドの姉妹都市から英語指導助手を受け入れる計画をしている段階で、その翻訳や通訳を引き受けることになった。
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私の留学:大学2年の夏休み
ダブルデッカー


2度目の留学は大学2年の夏休み、ロンドン1ヶ月の語学学校だった。

私は1年浪人して大学に入った。(現役で2次募集で受かったところもあったのだが、そこに入っていたら今のように英語を話せる状態にはなっていなかったと思う。)外国語学部英語学科なので当然帰国子女も多く、(当時は1年留学してくると学年がズレたので)私と年齢が同じでも1年英語圏に留学していたりして、私のように聞き取れない人はほとんどいなかった。高校時代から英会話学校などに行っていた人や塾に通っていた人も多く、英検2級保持なんて当たり前だった。

日本では中学校で米語を教えるのになぜか大学になるとイギリス英語好きの先生が多くなる。(この頃はもちろん、米語と英語の区別ができるほど聞き取れたわけではない。)英語講読を教えてくれた先生がとても紳士的で、彼が授業の合間に話すイギリスに憧れた。俄然行きたくなった。

が、この留学は情けないけど大失敗だった。最初のアメリカ留学で感じたことを再認識しただけ、つまりやっぱり聞き取れない状態で帰国することになり、お金をムダにしてしまったと思う。語学学校の授業初日にテープから流れる英語が聞き取れずに悔しくて泣いてしまい、先生方にも迷惑をかけた。

それで、2週間や1ヶ月で自分の英語が何とかなると思ったのが甘かった。もっと長くいないとダメだ。いつか1年ぐらい留学できたら。。。(なかなか諦めの悪い女なのだ!)
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私の留学:アメリカ西海岸2週間
期待と不安が混じった何とも言えない気持ちでアメリカに着いた。本や雑誌で見た通りの風景があり、田舎育ちの私にはそれだけで刺激的だった。

今考えたら高校生の2週間の留学なんてこの程度しかできないのだが、公立図書館の一室を借りて、日本語を少し話せる先生が一人と私たち(7人ぐらいだったかな?)、しかもみ~んな同じ旅行代理店兼エージェントを通して来ていた日本人!ホストファミリー以外に同年代の現地人との交流なんてゼロ!役に立ちそうもない証書をもらって帰国しただけ。

それでも私の英語への自信を失わせるには充分だった。前にも書いた通り、私の英語の成績はかなりよかったし、アメリカに行っても大丈夫だと信じて疑わなかった。(今考えるとかなり情けない。)でも、簡単な質問以外、何も聞き取れないのだ。自分から話すことはできても、「会話」というには程遠い。ホストファミリーの会話なんてついて行けないし。何で?私の英語力ってこんなもんだったの?もう、ショックなんてもんじゃない。すぐに食事の時間が苦痛になり、自分の部屋に篭ってしまった。

1日部屋でゴロゴロして過ごした後、折角アメリカまで来てこれでは、一生懸命にお金を工面してくれた母に申し訳ないと思い、寝る時以外は自分の部屋で過ごさないようにした。元々おしゃべり好きだし、辞書とノート片手に自分から話しかけ、できるだけ英語の中で過ごすようにしたつもりだ。

それでもこの2週間で英語が話せるようになったわけじゃないけど、この経験がなかったら今の私はなかっただろうと思われるほど大きな出来事だった。自分の聴解力のなさが本当に悔しかったし、いつか必ず、自惚れだけじゃなくネイティブにも認められるレベルで英語が話せるようになりたいと思った。これで益々高校留学への夢が膨らんで行くことになるのだが。

パームツリー


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私の留学:初めて留学するまで
最初の留学は高校2年の春休み。アメリカ西海岸に2週間という留学とは言えない短いものだった。

小学校でローマ字を習った頃から英語に憧れていたけど、実際中学で英語を始めたら成績がついて行かなかった。でも、高校に入って先輩や担任の英語教師の影響で英語に興味を持ち始め、英語では学年トップ5本指に入るようになっていた。その頃、英語関係の雑誌を読んだりするうちに留学への夢と希望が沸いてきたのである。「何となく留学したい」が「絶対に留学したい」に変わるまでそう時間はかからなかった。

しかし、我が家は母子家庭だ。父は5歳になったばかりの私と2歳の妹を残して交通事故で25歳という若さで他界した。自分なりに悩んだ末、母に話すと「な~に夢みたいなこと言ってんだ。そんなお金がどこにある!」と言われた。やっぱりそうか、諦めるしかないかとも思った。

ところが、変化が起きた。母が「この間、言ってた留学な。いくらかかるんだ?話ぐらいは聞いてやる」と言って来た。そして、その数日後、「これで行って来い!」とお金をまとめてくれたのだ。

母の心境の変化には理由があった。自分は高卒が一般的になりつつあった時代に中卒で、いざ一人になった時に学歴も資格もなかったので就職に苦労したし、就職してみても時給のいい職業には就けなかった。それで、私達子供には何らかの技術や資格を身につけさせたいと常々思っていた。

コツコツ努力をするタイプの妹は、ソロバンは有段だしピアノもできた。それに比べて、何をやっても3日坊主の私には何の特技も無かったのである。だったらせめて英語ぐらいはと思ったらしい。どうしようもなくなった時に相談した担任の教師からの協力もあって、そんな母の思いは知らずに私は意気揚々としてアメリカに旅立ったのである。
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